アイス(昭和~平成の高級アイスクリーム) [食の雑記]
昭和40年代頃までは、アイスといえば乳脂肪分ごくわずかなアイスキャンディーやカップアイスのことをいい、乳脂肪分たっぷり、卵を使用したアイスクリームは、大人と一緒によそ行きを着て行くお店で食べるという時代でした。
昭和46年に登場したのがレディーボーデンでした。
金髪の長い美女が登場し、「レディーボーデン♪レディーボーデン♪」と甘い歌声のTVCMに、当時の日本人に衝撃を与えました。
470mlというサイズが家庭の冷凍庫にあること自体が衝撃でした。
お母さんはわざわざディッシャーを買い、スーパーでアイス用のコーンも買ってくれました。
コーンの上にディッシャーですくい取ったレディーボーデンをのせます。
それは夕食後の家族が集まる、特別なひと時となりました。
バニラの風味と乳製品としての濃厚な味わいに感動し、いつも買う50円のカップアイスとはまったく別物で、子供でもこれは今までにない上等なアイスクリームだと感じていました。
こんな高級アイスクリームがウチの冷凍庫に入っているなんて、
外で食べるみたいにコーンにのせるなんて、
よそ行きを着て、遊園地やデパートでしか食べられないはずのアイスクリームがウチの食卓にやってきた感動は、昭和食文化の忘れられない思い出です。
ディッシャーを使うアイスクリームに、日本人が再び出合うのは、アイスクリーム専門店のフランチャイズ「サーティワン アイスクリーム」が昭和49年4月に東京都港区ナショナル麻布スーパーマーケット内に第1号店を出店したときからです。
この麻布店が、日本国内で現存する最も古いサーティワンの店舗です。
カラフルな31種類のアイスクリームが入ったショーケースの中に並んでいる光景に、誰もが驚きとアメリカの食文化を感じました。
バニラ、いちご、チョコといった定番もあったが、色鮮やかなチョコミントや、粘りのあるキャラメルがそのまま入ったキャラメルリボンなど、日本人は初めて見るフレーバーがたくさんありました。
サーティワンアイスクリームのコーンは、それまで日本人におなじみだったウエハースコーンとは違って、クッキーコーンに当時の日本人は感動しました。
それから10年後の昭和59年、日本人はハーゲンダッツと出会うのです。
東京都港区青山にハーゲンダッツ日本1号店がオープンしたのです。
1号店が開店した際には、長い行列ができたことをメディアが報じ話題となりました。
大都市圏を中心に店舗展開をかさね、ピーク時の平成6年には日本で95店舗を展開していました。
しかし、平成11年以降減少していき、平成25年4月25日千葉県浦安市の新浦安店(ショッパーズプラザ新浦安内)が閉店をもって、日本国内すべてのハーゲンダッツ店舗は消滅しています。
現在ではコンビニエンスストアやスーパーなどの販売が主力となっています。
ハーゲンダッツの高級感のあるTVCMで、大人の高級アイスクリームというイメージを打ち出し大人の消費者の獲得に成功しています。
また、先行していたレディーボーデンは470mlサイズしかありませんでしたが、1食分をコーヒー1杯程度の価格で販売するミニカップを主力にして、手軽に購入できるようにしたことも大ヒットした一因でした。
外国人が、最後に「Shall we Häagen-Dazs?」というセリフで締めるテレビCMは、当初は日本のみのオンエアでしたが、日本での好評を受けて、世界各国で同様の映像がオンエアされるようになりました。
日本でハーゲンダッツジャパン(株)が事業展開する中、レディーボーデンは雪印乳業が販売していました。
ところが、平成2年に販売休止し店頭から姿を消し、消費者からは昭和の懐かしいおいしいアイスクリームだったと思い出となりました。
ところが突如平成6年、こんどはロッテから再販売されたのです。
レディーボーデンが平成2年~平成6年の4年間販売されていなかったその間に、ハーゲンダッツは急速に日本人の食生活に普及していったのです。
レディーボーデンは昭和後期の高級アイスクリーム、平成に入ってからはハーゲンダッツという考えは日本人にはあるとおもいます。
ハーゲンダッツは近年、セブン-イレブンと共同開発したセブンでしか買えない限定品も発売し、希少価値戦略をとっています。
セブン-イレブン側にとっても、夏場の売り上げが大きい大衆アイスとは違い、ハーゲンダッツは一年を通して平均して売れる魅力的な商品なのです。
スーパーやコンビニのアイスケースに大衆アイスと並ぶ、ハーゲンダッツの存在は私たちに常に異彩を放つ特別な高級アイスクリームなのです。
昭和46年に発売したレディーボーデンから、ハーゲンダッツの今日の存在は、日本人の高級アイスクリーム概念の歴史でもあるのです。
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昭和46年に登場したのがレディーボーデンでした。
金髪の長い美女が登場し、「レディーボーデン♪レディーボーデン♪」と甘い歌声のTVCMに、当時の日本人に衝撃を与えました。
470mlというサイズが家庭の冷凍庫にあること自体が衝撃でした。
お母さんはわざわざディッシャーを買い、スーパーでアイス用のコーンも買ってくれました。
コーンの上にディッシャーですくい取ったレディーボーデンをのせます。
それは夕食後の家族が集まる、特別なひと時となりました。
バニラの風味と乳製品としての濃厚な味わいに感動し、いつも買う50円のカップアイスとはまったく別物で、子供でもこれは今までにない上等なアイスクリームだと感じていました。
こんな高級アイスクリームがウチの冷凍庫に入っているなんて、
外で食べるみたいにコーンにのせるなんて、
よそ行きを着て、遊園地やデパートでしか食べられないはずのアイスクリームがウチの食卓にやってきた感動は、昭和食文化の忘れられない思い出です。
ディッシャーを使うアイスクリームに、日本人が再び出合うのは、アイスクリーム専門店のフランチャイズ「サーティワン アイスクリーム」が昭和49年4月に東京都港区ナショナル麻布スーパーマーケット内に第1号店を出店したときからです。
この麻布店が、日本国内で現存する最も古いサーティワンの店舗です。
カラフルな31種類のアイスクリームが入ったショーケースの中に並んでいる光景に、誰もが驚きとアメリカの食文化を感じました。
バニラ、いちご、チョコといった定番もあったが、色鮮やかなチョコミントや、粘りのあるキャラメルがそのまま入ったキャラメルリボンなど、日本人は初めて見るフレーバーがたくさんありました。
サーティワンアイスクリームのコーンは、それまで日本人におなじみだったウエハースコーンとは違って、クッキーコーンに当時の日本人は感動しました。
それから10年後の昭和59年、日本人はハーゲンダッツと出会うのです。
東京都港区青山にハーゲンダッツ日本1号店がオープンしたのです。
1号店が開店した際には、長い行列ができたことをメディアが報じ話題となりました。
大都市圏を中心に店舗展開をかさね、ピーク時の平成6年には日本で95店舗を展開していました。
しかし、平成11年以降減少していき、平成25年4月25日千葉県浦安市の新浦安店(ショッパーズプラザ新浦安内)が閉店をもって、日本国内すべてのハーゲンダッツ店舗は消滅しています。
現在ではコンビニエンスストアやスーパーなどの販売が主力となっています。
ハーゲンダッツの高級感のあるTVCMで、大人の高級アイスクリームというイメージを打ち出し大人の消費者の獲得に成功しています。
また、先行していたレディーボーデンは470mlサイズしかありませんでしたが、1食分をコーヒー1杯程度の価格で販売するミニカップを主力にして、手軽に購入できるようにしたことも大ヒットした一因でした。
外国人が、最後に「Shall we Häagen-Dazs?」というセリフで締めるテレビCMは、当初は日本のみのオンエアでしたが、日本での好評を受けて、世界各国で同様の映像がオンエアされるようになりました。
日本でハーゲンダッツジャパン(株)が事業展開する中、レディーボーデンは雪印乳業が販売していました。
ところが、平成2年に販売休止し店頭から姿を消し、消費者からは昭和の懐かしいおいしいアイスクリームだったと思い出となりました。
ところが突如平成6年、こんどはロッテから再販売されたのです。
レディーボーデンが平成2年~平成6年の4年間販売されていなかったその間に、ハーゲンダッツは急速に日本人の食生活に普及していったのです。
レディーボーデンは昭和後期の高級アイスクリーム、平成に入ってからはハーゲンダッツという考えは日本人にはあるとおもいます。
ハーゲンダッツは近年、セブン-イレブンと共同開発したセブンでしか買えない限定品も発売し、希少価値戦略をとっています。
セブン-イレブン側にとっても、夏場の売り上げが大きい大衆アイスとは違い、ハーゲンダッツは一年を通して平均して売れる魅力的な商品なのです。
スーパーやコンビニのアイスケースに大衆アイスと並ぶ、ハーゲンダッツの存在は私たちに常に異彩を放つ特別な高級アイスクリームなのです。
昭和46年に発売したレディーボーデンから、ハーゲンダッツの今日の存在は、日本人の高級アイスクリーム概念の歴史でもあるのです。
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2016-01-14 23:08
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