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銀座のタクシー(バブル時代の花金<金曜日の夜遊び>事情) [バブル時代/80年代後半~90年代初頭]

1980年代末期には、東京の山手線内側の土地価格で
アメリカ全土が買えるという算出結果が出た日本の地価高騰。

日経平均株価は1989(平成元)年12月29日の大納会にて、
史上最高値38,957円44銭という空前の終値を記録した。
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この年、パブルは名実ともに絶頂期を迎えた歴史的な瞬間でした。

世の中にはカネがあふれかえり、
カネが飛び交っていました。

そして銀座、赤坂、六本木…の金曜日の夜のタクシーは
絶対につかまりませんでした。

しかしタクシーの台数は
かつてないほどの台数が走っていたのです。

ただ、夜の盛り場を走り回るタクシーは
客を乗せようとしなかったのです。

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1989年のクリスマスイブを盛り場で過ごした人たちの経験談。

空車の表示を出したタクシーを歩道で一生懸命手を振って、
運転手に目を合せようと頑張っても、
自分には見向きもせずに、無情に走り去る。

あの時の悔しさ、みじめな気持で途方に暮れる
深夜の大通りの歩道に立ち尽くした時間を
一生忘れることはできないでしょう。

その頃は、1万円以下の「近距離」客が、
タクシーで家に帰るのは至難の業だった時期です。

しょうがないからタクシーがつかまる時間になるまで飲むことになり、
みんながそうするから、
飲屋はどんどん儲かって、
帰宅時間はどんどん遅くなっていったのです。

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銀座、赤坂、六本木…深夜の盛り場の大通りでは、
タクシーをつかまえようと必死の人々が自然と等間隔で
何キロにもわたって並んでいました。

少しでも有利な場所に立とうと、
だれもが上流を目指し、
行列はどんどん長くなっていったのは事実です。

万札を2枚、3枚と扇のようにピラピラさせて
タクシーを停めようとするサラリーマンがいたのも事実です。

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夕クシー券を束で持っていて
配車センターにすぐにつながる秘密電話番号を知っている客が、
飲み屋で確かにモテた。

客がタクシーを選ぶのではなく、
タクシーが客を選ぶ時代だったのだ。 

時代は変わって、いまや終電が近づくと、
波が引くようにサーッと飲み屋から人がいなくなる。

タクシーは必死に客を求めて走り回っています。

夜中に夜の盛り場の歩道に立っているだけで、
空車がすっと寄ってくる時代。

あの頃を経験したベテラン運転手さんは
「あの頃は儲かったでしょう?」と話かけると、
みんなふっと遠い目になる。

今思えばあの時の花金は、
遊んだ人も、タクシーの運転手も
バブル経済の高揚した世間に踊らされた
夢の中のできごとだった感じがするのでしょう。

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